今日も疲れたな。
今日は、とにかく安易に孤独や絶望に堕ちないよう
自らの手綱をギューっと握って過ごした。
とりあえず、これから私は逃げずに生きていくと決めたのだ。
自分の感情からも逃げない。ひねくれたり、イジケたりしない。
そういうのをやめろ、と言われたのに、
言われたことで寧ろそうなってしまっていたからね(笑)。
間違いなく負のオーラをガンガンに出してたからね。
あと、投げやりで自虐的な口癖もできるかぎり言わない。
神妙ぶったり、暗い顔もしない。27にもなって繊細さを気取らない。
暗い顔をするのは悪だ。そんな事を太宰も言っていた。「正義と微笑」って。
ブログでこれまで乱発していた(苦笑)もこれからはなるべく使わないようにしよう。
何で敢えて苦笑う必要があるのだ。(笑)の中に、全て納めれば良いじゃないか。
人生には目指すべき場所なんて最初からない。
ロールプレイングゲームみたいに倒すべき最後の大ボスもいない。
目的もクリアもなく、あるとき突然画面の電源が落ちる。それで終わり。ひどいゲームだ(笑)。
だとしたら少しでもレベルを上げ、自分自身を成長させる事だけが、唯一目的たりえる。
ピンボールのハイスコアを目指すように、そこに楽しみを見い出すしかない。
自分はこんなもんだ、って、自分から決めつけちゃしょうがない。
自己啓発づいてきたけど、事実これは自己啓発なんだから、仕方がない。
あー、気炎を吐きすぎて、ますます疲れた。うん、もう、寝ます。
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本日は休み。
確実にやらなければいけないことがあるのに、
そんなこともお構いなしに映画に出向いた私。
岩松了監督の『たみおのしあわせ』。
言わずもがな、主演はオダギリ&アソクミの時効警察コンビ。
(三木聡監督も良い感じに出演してましたね)
デカイ館内に客は多分、私を含めて7人。とても悠々自適に観ることができた。
何かこの映画、オダギリと原田芳雄以外はみんな汚れてるんだよな。
大竹しのぶとか、小林薫とか、爺さん婆さん方とか、キヨシローとか、その他全員。
汚れてる、と言うか、人間関係における欲望に対し忠実に生きている。
そして、岩松監督はそれをあまりきれいなものとしては描いていない感じだった。
(特に、大竹しのぶは、素晴らしく最悪に不快極まりなかった)
麻生久美子は嫌になるくらい限りなく美しいのだけど、途中でそっちの側だとわかる。
そんな汚れ側の代表・小林薫に「コンサバティブ」と切り捨てられてしまう原田芳雄だけど、
そういう汚れを恐れる保守性って、私もそっちのニンゲンなので、すんごくわかるのだ。
…そして、オダギリと原田芳雄の二人は、その「汚れ」に耐え切れず逃げ出す。
いきなりだけど、私は「たみお」だ。
勿論、ルックスはその1/100以下だけど、私は「たみお」だ。
私自身がたみおだからこそ、私はこの映画の辿りついた場所に
泣きそうなくらいに腹が立ってしようがなかった。
たみおはあんな結論に行き着いては絶対にダメなのだ。
コンサバティブなままで、汚れを恐れたままで、何も変わっちゃいないじゃないか。
逃げてはダメなのだ。坂口安吾的に言えば、「堕落」しなければダメなのだ。
私は、たみおが引き返す事を望んでいた。でも引き返さなかった。
…最終的には完全に汚れのない世界に行ってしまった。
笑えたし、トーン的にはとても好きな映画なのだ。
だから、私が「たみお」じゃなければ、普通に最後まで楽しめたのだと思う。
でも私は悲しいかな「たみお」だったので、悔しくて堪りませんでした。
帰りは、早川義夫のCD、スターリン、リザード、E.D.P.SのLPを購入し、
『たみおのしあわせ』のパンフレット読みながら帰宅。
とても良い内容のパンフレットだった。映画本編よりも読んでて良い気持ちだった。
■■■■■□□□□□(こんな点数をつけるのはしのびないだが…)
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toddy氏のブログを見てたら、「…えっ!?」って、自分の目を疑った。
ストレイテナーに大山純が加入だって。
言うまでもなく、第一期アートスクールのメンバーが二人揃ったっていう。
うわー。生きていれば、こういう面白い事件を知る事もできるのだな。
新曲“Black Hole”の浮遊感のあるアルペジオは確かに大山節だ。
…とか言って、ホリエ氏のギターだったら恥ずかしいけど(笑)。
でも決して演奏技術に長けている訳じゃないのに、
大山純という人は音も佇まいも不思議な魅力があるのだよな。
初めてアートのライブを観たとき、
密かにこの人がアートスクールというバンドの空気感を
形作っているのじゃなかろうか、と強く感じたのを覚えている。
事実、アートワークの部分でのこの人の功績はかなり大きかった訳だし、
第一期アートスクールの肝は大山純さんであったと思う。
だから、私の中で不思議なほどにこの人の存在が過去のものになることがなかった。
ずっと、また何かしらの活動を再開して欲しいと思っていた。
そしたら、2008年の10月になって、こんな面白い話に。
これまで、正直ストレイテナーは嫌いじゃないけど、
そこまで魅かれるバンドという訳でもなかった。
でも多分、次のアルバムは購入すると思う(笑)。
アートスクールと対バンしたら面白いのになー。
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あるヒトに、もっとシャキっとしなければダメだと言われた。
シャキっとしたところで、そのヒトが認めてくれるのかはわからないけど。
私は確かにフニャフニャしている。
周囲にいる人は皆そういうイメージを抱いていると思うし、
少なくともいくらかはそういうユルいキャラとして認めてくれている気もする。
でもそれはあくまで「ユルキャラ」として認めてくれているのであって、
一己の人間として認められるかとなると、首を傾げられてしまうだろう。
だって、そうだ。私のこのキャラの根底には間違いなくズルさがあるのだから。
それは一言で言えば、道化、だと言える。
自虐的にお道化てひょうきんっぽく着地させる事で、失敗や落ち度を誤魔化す。
別に敢えて道化を演じている訳でもないけど(…それが寧ろ重症か)、
僕のこのキャラの根底には常なる「逃げの姿勢」があることは間違いない。
何より私は、果てしないコンプレックスの塊で、自信が完全に欠如している。
地獄の季節の中で、そんな自己嫌悪がすっかり身についてしまった。
それを乗り越えようとせずに生きることを選んでいるから、お道化るのだ。
何処かで、そんな道化が私のセンシビリティを保証するもののような気になっていて、
何処かで、道化が私のアイデンティティのようにすらなっていた。
ただその実、それは、自分を高めようとはせず、免罪符としてお道化続け、
道化の上で胡坐をかいているだけの、狡猾さでしかない。
結局そのヒトは「そんなんじゃ、認めません」と、私のズルさを見破ったのだ。
全能感や過剰な自信に満ちた人は、実際才能があっても下卑て映る。
尊敬する、宮崎駿監督も、矢野さんも、天才は皆、自信を持ちながらも謙虚だし。
そうは言っても、過剰に自信の欠如した人が、人として美しい訳がない。
やっぱり私は、最低限の自信は絶対に取り戻さなければいけないと思う。
…仕事で?…それ以外の事で?
少なくとも仕事では恥ずかしくないようなプロにならなければいけない。
それ以外の事でも、しっかりとそれを突き詰めていきたい。
私はもう、逃げるのをやめなければいけない。
27年と半年以上逃げ続けてきて、いつか逃げる事を肯定してさえいた。
人間の弱さや業を私は愛する。ただ、自分が弱ければそれは自己愛でしかない。
私は誰に対しても優しくありたい、とは常々思っているけど、
今の私にいくらかの優しさがあったとしても、それは弱さの裏返しの優しさだ。
本当の優しさはきっと強さなのだ。最低限の強さを持たなければ。
安易な絶望に堕ちるのはやめて、あなたに認められるように自分自身と戦っていきますよ。
ここ数日は、ずっと感情を殺して逃げようとしていたけど、それも無理だってわかった。
結局、認めてくれんかもしらんけどさ。わずかな光に向かって自分を高めるのだ。うん。
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今日はこれから出勤。何だか本気で仕事に行きたくない。身体中がダルいし。いや、ちゃんと行くけど。最低限の責任感は持ち合わせているし、今日行けば明日は休みだし。でも、何もしたくない。何も考えたくない。頭の中の虚妄を全て消して欲しい。ロボトミーにして欲しい。周囲の人の記憶からも家族の記憶からも消して欲しい。私などなかったことにして欲しい。
自分自身を支えるのが非常に困難
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